大本山建長寺について
當寺の本山であります建長寺は正式には「巨福山・建長興国禅寺」といいます。鎌倉時代、時の執権北条時頼公が発願し、宋より寛元四年(1246)来朝し、鎌倉常楽寺に住していた大覚禅師(蘭渓道隆)を開山に迎えて建長五年(1253)に創建されました。創建当時から建長寺は五山の第一位となるべくして建立されたもので建武元年(1334)に一度第四位となりましたが、暦応四年(1341)足利尊氏公は第一位に戻しています。また、至徳三年(1386)に足利義満公が五山十刹の位次を定めたときも鎌倉第一位となり、京都第一位となった天竜寺と対等な立場におかれました。
明治時代、時の政府による廃仏毀釈政策の影響で一時衰徴しましたが、明治九年臨済宗各派がそれぞれ独立すると建長寺も大本山建長寺派と公称するようになりました。